2014/11/11

感状山から羅漢の里へ

感状山は、国指定の史跡で、

感状山城は瓜生城とも呼ばれ、鎌倉時代に瓜生左衛門尉によって創築されたと伝えられています。
その後、南北朝・室町期になると、守護赤松氏一門の居城となり、建武三年(1336)には、新田義貞軍の進攻に対し、赤松円心の白旗山城に呼応した赤松則祐がこの城にたてこもって防戦し、その戦功により足利尊氏から感状を与えられ感状山城と呼ばれるようになったと伝えられています。
城郭の構成は連郭式・階郭式の縄張で、典型的な戦国山城の地取りとなっており、山頂部を中心に総石垣造りで、建物跡と思われる礎石群が盛時のまま残されています。


とある。

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山頂部(301m)は南北に長く、南の眺望がいい。
北曲輪、南曲輪など、たくさんの曲輪跡が残っている。
「すばらしい城跡やね。」

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曲輪跡から下ったところは広く、平坦になっている。
発掘で倉庫跡などが見つかったそうだ。

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物見岩から見上げる。
赤松氏がここで立てこもっていた頃のことを、この大岩は見ていたのだろうか。

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羅漢の里へはつづらおれの道を下りていく。
はじめは石段の古い道だが、途中からは遊歩道になる。

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杖の置いてある登山口から右奥に入る。

岩窟のなかに、16体の羅漢仏。
真言宗の山伏の作で、戦国時代たちの霊を弔うための供養仏であったとも言われているそうだ。

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羅漢さんにお参りし、羅漢の里へと戻る。

羅漢の里では、バーベキューを楽しむグループや、散策する親子連れなどでにぎわっていた。

見どころの多い三濃山・感状山だった。




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